“15日間の人生”を終えて
- 渡辺貴義
- 明治大学
- 2016年夏
人生の縮図のようなプログラム
最終日、私は確信した。もうすぐ人生が終わるのだ、そして生まれ変わるのだ、と。
「15日間の人生」と表現するのは、このプログラムが人生の縮図のようなものだと思ったからだ。
最終日、私は浜辺にいた。昨日までの14日間何があったのか、一つ一つ振り返っていた。
本気でやったからこそ様々な感情があふれ出てくる。うまくいってうれしかったこと。気持ちがあっても英語が口から出てこず、観光客を逃してしまったこと。
一方、なんであの時逃げたのかと思った部分もある。
悔しいのは本気でやったからこそだが、悔いるのは逃げたからだ。
走馬灯のように、様々な思い出が頭に浮かんできた。
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15日間の海外生活
私が武者修行に最も惹かれたのは、15日間海外で仲間と過ごす点である。
海外であるから、ほかの煩わしいことと距離を置いてプログラムに集中できる。そして2週間という期間はゴールが見えやすく気を抜けない長さであり、全く知らなかった仲間を知るのに適切であった。
つまり自分が求めていたのは、「集中」と「仲間」と言って間違いない。
そのような考えからベトナムでの生活が始まった。
最大の問題は、自分自身にあった
ベトナムでの最初の数日間は何か物足りなかった。
チームとのコミュニケーションがうまくとれず、成果に結びつかない状況だった。
最大の問題はプログラム中盤で明らかにされた。それは自分自身だった。
私の意識は「自分」と「成果」にしか向いていなかった。目の前にいるメンバーの気持ちは微塵も感じ取れなかった。
問題の本質を知ってから人間関係は大幅に改善された。チームとしての一体感だけではなく、同じタームの人との関係性も深まった。
そのことが自分のモチベーションにもつながった。