自らの道を進む武者修行修了生をピックアップ!~田口冬来~ | 武者修行プログラム™

自らの道を進む武者修行修了生をピックアップ!~田口冬来~

自然や動物の在り方から学んだ大学生時代

大学生時代、僕は山梨にある都留文科大学にて、自然の中で子どもを育てることや、感性を養うこと、防災の意識を高めるといった環境教育を専攻していました。そこでは時々、市の防災センターから熊が出没したとお知らせがあるような場所で、僕は「熊に会いたいなぁ」と授業を抜け出し山を目指すような学生でした。

 

ある日急斜面を登っていたら、てっぺんに天然記念物のカモシカが佇んでいました。彼は上から僕を見下ろしてくるのですが、その姿はもののけ姫のようで、ただの動物とは感じられずとても神秘的でした。彼にじっと見つめられると数分間金縛りにあったように動けなくなり、彼がいなくなった後急いでてっぺんまで登り詰めました。数秒前まで間違いなく彼はここにいたんだ!ということに感動したりしていました。

 

振り返ると、単に僕は動物を見たいという気持ちで山に入っていましたが「自分の態度に謙虚さはあるのか?」と彼に問われていた気がします。スピリチュアルな事かもしれないですが、そのワンシーンも対話の一つだと考えており、自然との関係性を意識する大切さを大学時代に学びました。

 

自然と共生する先住民がキーワード

僕らの社会は加速度的に流れていて僕ら自身が生み出したものをコントロールできなくなってきていると思います。このままだと僕らは壊れていってしまうんじゃないか?少なくとも最初は心から壊れていって、徐々に生活もできないような環境問題にも発展するのではないかと僕は思っています。でも、資本主義だし科学の発展も止まらない。一方で僕らの心や倫理観、「選択させられるのでなく、自分で選択する」という心の発展がちょっとそれに比べてゆっくりなんだと思っています。

 

心の発展を考えたときにふと「先住民」の人たちってどうしてるのだろうか?と考え、自然の中で暮らしている彼らは自然や動物から自分の在り方を鏡として見ているのではないか?と仮説を持ちました。彼らのような生活に戻る必要はないけど、僕らの歴史の中にも先住民のような感覚があってなにかヒントがあるんじゃないかと。そして僕は先住民のいる「パプアニューギニアにいきます」と伝えて大学を卒業し飛び出しました。

 

 

先住民の姿を見てキャパオーバー

大学卒業後はお金を貯めるため、オーストラリアにワーキングホリデーに行くことにしました。1年間は農場で働きながら色々な国の人と暮らし、2年目はオーストラリアの先住民であるアボリジニに関わりながらお金を稼ぎたいと考えていたので、なんとか探してダーウィンの近くエルコ島と呼ばれる場所に1年間滞在しました。そこは居留区と呼ばれる政府管轄のエリアで、アボリジニはそこに集められ生活をしています。僕はそこにある政府がオーナーの店で働いていました。

 

はじめはアボリジニを自然の中に生きる先住民という捉え方でしたが、先住民と周りの文明とのバランスの悪さや貧困、差別、宗教の実態が見えてきました。自然との共生といった側面より、もっと複雑に緻密に保たれている関係性の中で生きている姿がありました。特に文明と先住民のリテラシーのバランスが取れておらず、富裕層と先住民とのギャップがあり、彼らアボリジニ自身の劣等感や差別が大きくなっている気がしました。自分の存在も彼らを傷つけてしまっていると感じる出来事もありました。

 

オーストラリアの修学旅行生がアボリジニの生活を見に来て、引率のおばちゃんがアボリジニの生活や文化、音楽などを聞いて「とても素敵な生活ね、私達も自然に返らないといけないわ〜」と言って帰るのです。

美しいところだけをむしり取って帰っていく人たちがえげつないなと僕は思いました。でもあのおばちゃんと自分も同じ立場でした。自然の中で暮らすアボリジニは、美しいだけじゃ語れないもの、生と死や矛盾したものも含めて見ているはず。一方で自分は温室の中からキレイだねと言っていた気がして、僕の在り方を見つめ直す必要があると思いました。大きなテーマを彼らからもらった気がします。

 

本来だったらオーストラリアから帰ってきてお金も貯まったし、パプアニューギニアに行こうかなと思っていましたが、ここには書ききれないようなエルコ島での経験が僕にとってキャパオーバーでした。簡単に言うと、直面した現実に対して僕にできることはなにもないと思いました。たぶんパプアニューギニアに行っても同じものを見るんだろうなと思い、今僕にとって行く意味は無いだろうなという心境です。

 

もともとは怯えて決断できなかった

一見これまでの話を聞くと、大学卒業後チャレンジをしているように見えるかもしれませんが、僕はもともといろんなことに怯えていて、すぐにできない!と思うようなタイプでした。それを変えた一番大きな経験は、熊本の震災でした。武者修行から帰ってきたあと、「ここからちゃんと自分で人生を創っていこう」と決め、これからの選択をもっと具体的にしていきたいと思って紙に書き出しました。

そこに高校生1年生の時に起きた東北大震災でなにもアクションを起こせなかった自分を悔やんでいたため、次に震災が起きたときは必ず行動すると決めて書き込みました。その2週間後熊本の震災が起きました。

 

僕は「決めたよな」と思い、当時大学四年生で授業もありましたが色々な人に相談をはじめました。熊本に行きたいと事情を説明したが十中八九否定されました。辞めたほうが良い、災害支援の経験もないのに行くとあなたも被災者になって危ないぞと言われました。でも「自分で決めたことだし行くか」と、ヒッチハイクで熊本に向かい支援に従事しました。帰ってきてからはその経験を書き出して報告書にまとめ、相談した人たちに伝えました。それが自分の責任だと思ったからです。

 

そうすると報告書や活動が評価され始めて、話を聞かせてくれと言われることが増えました。災害時の弱者について人権教育の一環で高校生に講演をしたりする機会もできました。結局卒論もこの経験をベースに書くことになりました。

 

僕にとってこの経験の何が大きかったかと言うと、「誰も応援してくれなくて止められたが、自分が心から決めたことをちゃんと貫き通したら、後からついてくる」ということでした。被災地支援に行ってお前はどうするんだと聞かれたら何も答えられませんでしたが、自分で見たり聞いたりして自分の中に積み重ねたものを、きちんと整理したり自分なりに大切にしているとなにか形になるんだと自信になりました。この経験があったことで大学卒業をするときに先住民のところに行くという決断も自信を持ってできたんだと思います。

 

時には「止まる」ことも大事

オーストラリアでの2年間で自走式エンジンという観点で感じたことは、エンジンは時には「止まる」ことも大事だということです。止まらないと波がないからストーリーにならないからです。人はストーリーの中で生きることが大事だから時には悪くなるタイミングもあるし、またうまく回り始める事もあると思っています。 

 

僕は自分の心というか中心部分にある「やりたいこと」と「行動」が合致するとエンジンが勢いよく回りだすということと、自分が回り始めると外から助けがたくさん得られるということをこれまでに何度か経験することができました。

 

歯車のようなものがハマるとうまくいく事が自分でわかっているので、自分のハマりどころをあっちかなそっちかなと探して、ハマったら全部身を任せていけばいいと思っています。いまは日本から帰国して休息期間をとっていますが、自分の心がこれだ!と感じるものを探して今後も進んでいきたいと思っています。

 

 

【プロフィール】

田口冬来

2016年春武者修行プログラム参加。参加当時は大学3年生。都留文科大学卒業後、ワーキングホリデーでオーストラリアに約2年滞在。